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自由からの逃走

2011-04-13

ブログなる表現(発表)方法が自分にとってどうだろうかという関心は、これまでもなかったわけではないが、なんせずいぶん齢をくってから習い始めたパソコン操作で、てきぱきと使いこなせるようになる見込みも薄く、億劫さにも勝てなかった。去年の今頃までぼちぼち発行していたメールマガジン「信濃路は 今も はりみち」が途切れてしまったのと、この先のあまり長くない人生の時間の使い方として、読み残した古典の世界に浸りたい気分が優先していたのだが、突如襲来した大津波、ことに原発災害危機を目のあたりにしては黙っていられなくなった。3.11以来、おもに原子力プラントの状況把握に努めてきたなかで気づいたことをふくめて、これから発信してゆきたいとかんがえているが、まずは以下の言葉を紹介したい。都会の本屋に勤務していた娘によると、「書棚から欠いてはならない類の本のひとつ」だそうだから、今この文章を読んでくださっている方にはすでにご存じのむきも多いかと推察するが、現時わたしの胸中深く鳴り響いている、まさに警世の書である :
エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」
日高六郎訳
1951(昭和26)年12月30日 初版 東京創元社
p.275
いまとりあげた要素のほかに、一般の成人に残されている独創的な思考能力を、すべて積極的に混乱させようとする他の要素がある。個人生活や社会生活のすべての根本的な問題について、また心理的、経済的、政治的、道徳的な問題について、巨大なわれわれの文化は一つの特徴をもっている__すなわち問題をぼかすことである。その煙幕の一つに、問題があまりに複雑で普通の個人には把握できないという主張がある。事実はその反対に個人生活、社会生活の根本問題は、たいてい非常に単純であり、だれでもがそれを理解することを期待できるように思われる。それらが非常に複雑で、「専門家」だけが、しかもかれの限られた領域においてだけ理解できるというようにみせかけることは、じっさいは__
しばしばある意図をもって__本当に問題となっていることがらにたいする、自分の思考能力の自信を失わせることになる。個人は混沌とした多くのデーターにとりかこまれながら、無力をかこち、専門家がなにをなすべきか、どこへいくべきかをみつけだすまで、憐れな忍耐力でまちつづけている。
 このような影響は二重の結果をもっている。すなわち、一つは聞くこと読むことすべてにたいする懐疑主義とシニシズムであり、他は権威をもって話されることはなんでも子どものように信じてしまうことである。このシニシズムと単純さの結合は近代の個人にきわめて典型的なものである。その本質的な結果は、かれが自分自身の思考や決断をおこなう勇気を失わせることである。
ESCAPE FROM FREEDOM
by
Erich Fromm
1941
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仁科の囁き

Author:仁科の囁き
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1945年7月中国山西省生まれ 翌年6月引揚 郷里岩手県北上市へ のち茨城高萩、東京多摩、宮崎日向、山口岩国を経て 中学高校は広島市 東京での大学生活(専攻独文)を終えてすぐ信州へ 
押田成人神父に師事 大工修業を経て 開発阻止活動に専念 
あづみの道草あかとんぼの会代表 国営アルプスあづみの公園・友の会事務局長 東ティモール支援・信州事務局 原子力行政を問い直す宗教者の会世話人ほか 

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